181004 特別講座 陸上自衛隊習志野演習場見学会
公開日:2019年02月08日 最終更新日:2022年10月18日
タイトル |
181004 特別講座 陸上自衛隊習志野演習場見学会
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詳細
本イベントは、表題通り「陸上自衛隊習志野演習場」の見学会を
を開催した報告です。昨年10月4日に実施したのですが、
私の急な入院・手術があり、術後の経過も今ひとつで、、
報告書作成が非常に遅れました。快く見学させていただ
いた自衛隊に心から御礼と感謝を申しあげます。
江戸期に入ると徳川幕府の直轄地となり、周りに佐倉藩
等譜代大名を配した、幕府の治安にも欠かせない重要
地帯となります。この地は、小金5牧のうち「下野牧」と
呼称し、主に野馬の育成地となります。周囲を野馬除
土手で囲み、年に一度の幕府検分が行われます。入会
地の役目や治安上の町奉行管轄の下、五里四方、十里
四方の政策、鷹狩りによる治安政策も実施する重要な
役目を有していました。明治初年これらの政策は、一挙に
崩壊、地租改正等により近代国家に進化する財政
基盤になる重要地帯となりました。
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新木戸(成田街道際)の野馬除土手。高低差のある2重構造になっていたという。上画像の左側は民家、右側が自衛隊敷地内で、左と比べ高くなっている。このような土手が、かなりの距離で構築されていたらしい。
なお、本稿は、訪問先の習志野駐屯地空挺団広報の事前監修を得ております。
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馬頭塚頂上にある「馬頭塚」像。2基と手水鉢一基。
青面金剛像は、享保5(1720)年10月と寛政4(1772)年10月、手水鉢は安政5(1858)年6月とある。ご覧の通り「馬頭」ではない。馬頭は交通の安全と馬の健全を祈る象徴だが、何故か「青面金剛像」になっている。おそらく同じ高津村から移設したものと思われる。なお、手水鉢は数年前は、平地にあったと聞知している。
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習武台、南西部から撮影。
射撃練習場だったが、現在は使用されていない。広大な地域であるが射程距離500m程度ということである。鉄製の錆びた薬莢を拾った。本当は、薬莢は真鍮製なのだが、戦後すぐの代物らしく鉄製だった。
本件には、見学団員の見学記を纏めた小冊子を作成中です。H31年2月中旬完成を予定しています。詳しく知りたい方は、奥田宛電話ください。電話:080-4009-1192です。
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