ふなばし市民力発見サイト活動レポート保健、医療、介護、福祉の増進190716 58th ふなばし学講座

190716 58th ふなばし学講座

公開日:2019年07月29日 最終更新日:2022年10月18日
登録元:「【0610】正伯塾
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190716 59th ふなばし学講座

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190716、58回目の正伯塾開講です。今回は、蕨先生の「謎の壺G」にせまります。なにゆえにこの形があるのか、古代人の意識はどういうものか、等々一つの土器で、当時の集落状況やムラの人々の生活ぶり、深層心理が推察できました。縄文や弥生、古代、古墳時代の様相が、ようやく船橋に区域でも推察可能となりました。下総台地上の古墳時代は発掘や資料少なく住居跡くらいで推定することができないのですが、この「壺G」の発掘で面白くないました。このように地道な研究が、徐々に古代史にも明らかになってくると思います。たいへんですが、成果は、現代人にも少なからぬ影響が出てくると思います。船橋では、取掛西遺跡をはじめとして、比較的遺跡が多い地域です。益々進展し、深みのある古代研究都市となることを期待します。

上画像は、蕨先生の講座風景です。
第2講座では、綿貫先生の小金牧での各種の鹿狩風景画を見ながら勉強。江戸期では、吉宗治世下で2回、家斉治世下で1回、家慶治世下で1回、都合4回の御鹿狩が行われた。

次回9月の案内チラシです。船橋にとってとっても重要な事象を取り上げました。特に、千葉県文化財審議委員の金出先生によるご講演は、市民活動する者にとって重要です。今回は、金出先生のご厚意により実現しました。
また、綿貫先生の栗原藩成瀬氏の樋揚も印象的になりました。船橋市内には所謂「藩」「大名」な江戸期中な見当たりません。この成瀬氏も石高4000石程度で、大名ではなくわずか3代で廃絶しております。が本家が尾張の犬山藩で家康の信任扱く江戸期において特別な家各の武家です。犬山藩も「藩」にはなっていない。成瀬氏は犬山藩の代々家老職、維新時は倒幕派に属した。現在も西船の宝成寺は、威容堂々たるものでその名残をとどめています。

7/12,漁師町、八剱神社祭礼の神輿ゆすりこみを見物してきました。画像は、お囃子の風景。神楽もお囃子と一諸に演じていました。往時を偲ばせる光景でした。神官による祈祷、神輿ゆすり込みは雨のため撮影逸しました。八剱神社が上位の社格であるが、その理由を知りたいと思いました。
漁師町とは密接な関係をゆうしているようです。

吉宗享保11年の時の陣容図。製作者不詳。場所は現在の牧之原周辺らしいが、未確認。

家慶嘉永2年時の陣容図。制作者不詳。場所同左。

この情報は、「【0610】正伯塾」により登録されました。

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