巡見会(鷹狩史料に関連する史跡等の見学)2022年11月19日(土)
公開日:2022年12月15日 最終更新日:2022年12月19日
コロナ禍で中止してきた巡見会を3年振りに開催しました。
昨年から読んできた鷹狩史料に関連する史跡等をバスで巡りました。
吉宗は享保2年、将軍就任以来準備を進めてきた鷹狩を再開しました。
その第1回目は同年5月11日、当時田畑や湿地帯がひろがっていた向島での鷹狩でした。
千代田城を出発した吉宗は、駕籠で両国橋へ向かい、
そこから御座船麒麟丸に乗り、堅川を経由して亀戸天神で休息。
横十間川を北上し、向島の水神の森で鷭の鷹狩りを行い、
更に請地村・寺島村・小村井村など向島の村々で鷭を捕えます。
狩りを終えた吉宗は、木母寺の隅田川御殿で休息。
此処から麒麟丸で両国橋、更に駕籠で千代田城に還御しました。
向島は、歴代将軍が鷹狩りに出向いた場所で、吉宗の何度も鷹狩りを行いました。
巡見コース&日時:2022年11月19日(土)9:00~16:00、参加人員:27名
船橋市→待乳山聖天→山谷堀跡→木母寺→隅田川神社→向島百花園→三囲稲荷神社→牛嶋神社→船橋市
待乳山聖天:浅草で唯一の小高い山の上に建てられた
浅草寺の支院の一つ。江戸期には眺望の良さから人気観光スポット。
こちらから眺める大川(隅田川)の対岸に
湿地帯に点々と島々が浮かんでいるように見えたことから
向島と言われるようになったとの説もある。
木母寺:梅若伝説の寺院。
天明期まで此処に鷹狩の休息所・隅田川御殿があった。
現在は近代的な建物になっているが、
梅若念仏堂や梅若塚が残る。
桜の名所「墨堤」は此処から三囲神社まで、
家綱に続き吉宗が桃・柳・桜を植樹したことに始まる。
隅田川神社(旧水神の森):吉宗最初の鷹狩り場。 向島百花園:文人・佐原鞠塢が文化元年に開園。
近くに白鳥池があり沢山の野鳥が棲息していた。 今回の巡見地で唯一吉宗の時代に存在しなかった所。
本殿は江戸大地震後の安政5年に建てられた。 文人墨客のサロンとして使われた。
江戸期、大川の氾濫で一帯が水没しても、 酒井抱一の「梅は百花にさきがけて咲く」から「百花園」と命名。
この神社だけが残り、「浮島神社」とも呼ばれた。 写真は酒井抱一の筆による「花屋敷」の扁額(東京大空襲で焼失・複製)
長命寺の井戸:将軍家光が鷹狩りの時俄に腹痛をおこし、 三囲稲荷神社拝殿:
当寺の寺僧に薦められた井戸水を飲んで、 三井寺の僧・源慶が荒れた社を再興した時、
治ったことから、その井戸水を「長命水」と呼んだ。 土中から白狐に跨った翁像を発見。その時、突然白狐が現れ
写真は、その長命水の井戸。 翁像を三周して姿を消したことから、「三囲稲荷神社」という。
近くの「山本屋」は吉宗の当時からの桜餅屋。 三井家の守護神として、社地・社殿を寄贈して帰依した。
記録では、1年に77万枚の桜葉を漬け込んで、 境内には三井家所縁の施設や品々がある。
1個に2枚、合計39万個の桜餅を4文/個、228両を売り上げた。
牛嶋神社(通称・牛の御前)と三ツ鳥居:
創建に関しては諸説あるが、一説では慈覚大師がこの地で
布教中に、素戔嗚尊が現れ、「この地に神社を建立すれば、
何か事変があれば、首に牛頭を戴き、国を守護する」といったことから、
主祭神・素戔嗚尊を「牛御前」と呼ぶ。
江戸期は江戸の鬼門にあたる神社として尊崇され、
将軍の鷹狩りの時は狩りの成就を祈願した。
「三ツ鳥居」は三輪鳥居とも呼ばれる。
社殿は昭和7年に再建されたが、都内屈指の総檜の権現造。